2010年01月25日
「自由」と「幸福」から解放された夜(母の遺言)
どうもこんにちは!!きとりかです
いつもいつもラク夢に遊びに来て下さりありがとうございます
今年に入ってから、自分自身の中の
驚きのトラウマ&驚きのインナーチャイルドに気づき、
『きゃあぁ〜!ビックリーー!!』
が続いています。
特にビックリしたのは・・・
「自由に生きていいんだよ」「自分の分も幸せになってね」と親から言われていた言葉が、
「幸福」「自由」でいることへの 義務・強迫・命令 となっていたとわかったことでした。
-----------------------------------------------------
ことのいきさつは・・・
ペンジュラムのトレーニングを受けた際に、
「○○をして、幸せになれますか??」という問いを作り、自分自身に聞いてみたとき・・・
「な〜んで私、こんなヘンな問いを作っちゃったんだろう??」
と
不思議に首をかしげたのがはじまりでした。
それまで、私の中で、「幸せ」について、「なる」とか「ならない」などの概念はあまりなく、
「たとえどんな現実だろうと、今の現状を幸せだと感じる力がなければ、生きていてはいけない」
のだと感じていました。
まあ、だからこそ、自分みたいな凡人は、
「心」のさまざまなトレーニングを積むことが必要であると感じ、
不器用で要領も悪いくせに、子供の頃から何やらコソコソ!?とやっていたわけです。
つまり、「幸せでなければいけない」と思っていたのです。
しかし、自分が作ってしまった問いをキッカケに、
『本当は、幸せになっても ならなくても良いってことなのかしら〜??』
『自由選択がゆるされているのかしらねぇ??』と、
ペンジュラムの講義を聞きながら、1人全然違うことで首をかしげていたのでした。
そしてその後すぐに、ヒプノセラピーの幼児期退行のトレーニングを受けました。
そしたら、出てくるわ 出てくるわ・・・
「幸福でなければ、生きていてはいけない」という観念。
私は、幸福禁止令を解除している場合じゃないわ〜!!
『幸福への強迫観念』や、『幸福義務令』?とかを癒したほうが良さそうです(笑)
------------------------------------------------------------
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
------------------------------------------------------------
「自由に生きていいんだよ
」「自分の分も幸せになってね
」
私の母親はとても心優しい人で、
私への遺言としても、こういう優しい言葉をかけてくれる人でした。
この言葉自体は何の問題もないのですが、
そこから派生する私のいろいろな感情が、強迫観念として大きく私を苦しめていました。
このことに強烈に気付いたとき、
幸福と自由に対する強迫観念がガラガラと崩れていき、
泣きじゃくりました。
----------------------------------------------------------------
母親をはじめ、他の大人などからも聞く
「自由に生きていいんだよ」「自分の分も幸せになってね」
という二言が、「特攻隊」のような「業務命令」として強く刻みこまれていました。
自由や幸福を探すことに対して、
「特攻隊」としての任務を背負っているのと同じようなイメージが強くありました。
「自由になること」「幸福になること」
この2つが大きな大きな重責となり、
「自由にならなきゃいけない」「幸福にならなきゃいけない」
という重い重い「業務命令」・「指令」を背負っていました。
知らず知らずのうちに、自分を追い込んでいたことに気付きました。
「自由」と「幸福」が、激しいトラウマと強迫観念となっていました。
-------------------------------------------------------
●「偏差値の高い大学に行って、上場企業に入りなさい」
こういう指令を親から受ける人も多いと聞きます。
これは、本人の自主性を阻害する指令であり、
子供の心を扱う 発達心理学などでは、避けるべき指令だと言われていたりするそう。
しかし、この指令は、
かなり具体的であり、何をどうすれば良いのか明確にわかりやすいという点や、
客観的評価ができるという点について、ある意味わかりやすい指令でしょう。
●「自由になっていいんだよ」「自分の分も幸せになってね」
こういう漠然とした指令は、一見、本人の自主性を最大限に尊重し、
親の介入がないように見えます。
しかし、実際のところは、終わりがない永久の無期限指令・・・
それに、もしかすると、偏差値を上げるより、上場企業へ入るよりも困難かもしれない指令です。
「自由って何??」
「幸福って何??」
自由と幸福を意味を、人生に体当たりしながら探さなければいけない。
さらに、探したあと、その地点へ行かなければいけない・・・
そんなことから、
結局、突き進めば突き進むほど、「自分探し!?」みたいな方向へ行く展開になってくることもあるかもしれません。
そうなったら、一生終わりがないかもしれません。
----------------------------------------------------------------
自分が幼いころから、カルマ解消や瞑想・啓発が好きだったのは、
自分を助けたい!!親を助けたい!!という気持ちからだと思っていましたが、
もしかしたら、
『ただただ親の指令(=自由と幸福)を真剣に遂行していった結果だったのかも!?』
・・・あっけにとられました。
そしてその指令が、特攻隊の命令のように、強い強迫観念となって苦しんでいました。
号泣の後は、爆笑!!(涙)
------------------------------------------------------------
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
------------------------------------------------------------
「偏差値の高い大学に行って、上場企業に入りなさい」と言われて息が詰まっている方もいる。
「幸福になりなさい」と言われて強迫観念に苦しんでいる方もいる。
「自由に生きていいんだよ」と言われて、
「うわ〜い!好きにできるー!」と喜ぶ方もいる。
「見捨てられたんだ・・・」とガッカリする人もいる。
「大嫌い!死んでしまえ!」と言われて、悲痛の悲しみを抱える方もいる。
「長生きしてね」と言われて、身体の状態の辛さを嘆く方もいる。
「大好き!愛してるよ!」と言われて、
「私も愛してるよ〜♪」と喜ぶ方もいる。
「これ以上つきまとわないで!」と嫌気がさす方もいる。
--------------------------------------------------------------------
人間が生きるということは、感情が動くということ。
感情が動くということは、喜怒哀楽を味わうということ。
喜怒哀楽を自覚して味わうのか、
気付かない状態で、催眠にかかった状態で味わうのか・・・
「自由」「幸福」
この2つの親からの指令・命令・催眠 を手放した私は、
いったいこれからどう生きるのでしょうか??
「もう、自由にならなくて良いし、幸福にならなくても良い。」
あの気づきに恵まれた夜・・・
その夜、私は今まで感じたこともないほどの、
深い深〜い自由と幸福を感じました。
感じるという表現も、包まれているという表現も、
もしかしたらちょっと違ったかもしれません。
私のいるところ、そこに、ただただ 自由と幸福がありました。
自由と幸福は、いつも ここに あったものだったのです。
ただただ、そのことを実感して感激したのでした。
そして、その翌日、今までなかなか進展しなかったことたちが、
人の手を借りて、進みだしました。
「自由になっていいんだよ」「自分の分も幸せになってね」と言ってくれた母のことを、
もっともっと理解してあげれたように感じました。
母の愛を、もっともっと深く感じました。
●いつもありがとうございます

いつもいつもラク夢に遊びに来て下さりありがとうございます

今年に入ってから、自分自身の中の
驚きのトラウマ&驚きのインナーチャイルドに気づき、
『きゃあぁ〜!ビックリーー!!』
が続いています。特にビックリしたのは・・・
「自由に生きていいんだよ」「自分の分も幸せになってね」と親から言われていた言葉が、
「幸福」「自由」でいることへの 義務・強迫・命令 となっていたとわかったことでした。
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ことのいきさつは・・・
ペンジュラムのトレーニングを受けた際に、
「○○をして、幸せになれますか??」という問いを作り、自分自身に聞いてみたとき・・・
「な〜んで私、こんなヘンな問いを作っちゃったんだろう??」
と不思議に首をかしげたのがはじまりでした。
それまで、私の中で、「幸せ」について、「なる」とか「ならない」などの概念はあまりなく、
「たとえどんな現実だろうと、今の現状を幸せだと感じる力がなければ、生きていてはいけない」
のだと感じていました。
まあ、だからこそ、自分みたいな凡人は、
「心」のさまざまなトレーニングを積むことが必要であると感じ、
不器用で要領も悪いくせに、子供の頃から何やらコソコソ!?とやっていたわけです。
つまり、「幸せでなければいけない」と思っていたのです。
しかし、自分が作ってしまった問いをキッカケに、
『本当は、幸せになっても ならなくても良いってことなのかしら〜??』
『自由選択がゆるされているのかしらねぇ??』と、
ペンジュラムの講義を聞きながら、1人全然違うことで首をかしげていたのでした。
そしてその後すぐに、ヒプノセラピーの幼児期退行のトレーニングを受けました。
そしたら、出てくるわ 出てくるわ・・・
「幸福でなければ、生きていてはいけない」という観念。
私は、幸福禁止令を解除している場合じゃないわ〜!!
『幸福への強迫観念』や、『幸福義務令』?とかを癒したほうが良さそうです(笑)
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♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
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「自由に生きていいんだよ
」「自分の分も幸せになってね
」私の母親はとても心優しい人で、
私への遺言としても、こういう優しい言葉をかけてくれる人でした。
この言葉自体は何の問題もないのですが、
そこから派生する私のいろいろな感情が、強迫観念として大きく私を苦しめていました。
このことに強烈に気付いたとき、
幸福と自由に対する強迫観念がガラガラと崩れていき、
泣きじゃくりました。
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母親をはじめ、他の大人などからも聞く
「自由に生きていいんだよ」「自分の分も幸せになってね」
という二言が、「特攻隊」のような「業務命令」として強く刻みこまれていました。
自由や幸福を探すことに対して、
「特攻隊」としての任務を背負っているのと同じようなイメージが強くありました。
「自由になること」「幸福になること」
この2つが大きな大きな重責となり、
「自由にならなきゃいけない」「幸福にならなきゃいけない」
という重い重い「業務命令」・「指令」を背負っていました。
知らず知らずのうちに、自分を追い込んでいたことに気付きました。
「自由」と「幸福」が、激しいトラウマと強迫観念となっていました。
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●「偏差値の高い大学に行って、上場企業に入りなさい」
こういう指令を親から受ける人も多いと聞きます。
これは、本人の自主性を阻害する指令であり、
子供の心を扱う 発達心理学などでは、避けるべき指令だと言われていたりするそう。
しかし、この指令は、
かなり具体的であり、何をどうすれば良いのか明確にわかりやすいという点や、
客観的評価ができるという点について、ある意味わかりやすい指令でしょう。
●「自由になっていいんだよ」「自分の分も幸せになってね」
こういう漠然とした指令は、一見、本人の自主性を最大限に尊重し、
親の介入がないように見えます。
しかし、実際のところは、終わりがない永久の無期限指令・・・
それに、もしかすると、偏差値を上げるより、上場企業へ入るよりも困難かもしれない指令です。
「自由って何??」
「幸福って何??」
自由と幸福を意味を、人生に体当たりしながら探さなければいけない。
さらに、探したあと、その地点へ行かなければいけない・・・
そんなことから、
結局、突き進めば突き進むほど、「自分探し!?」みたいな方向へ行く展開になってくることもあるかもしれません。
そうなったら、一生終わりがないかもしれません。
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自分が幼いころから、カルマ解消や瞑想・啓発が好きだったのは、
自分を助けたい!!親を助けたい!!という気持ちからだと思っていましたが、
もしかしたら、
『ただただ親の指令(=自由と幸福)を真剣に遂行していった結果だったのかも!?』
・・・あっけにとられました。

そしてその指令が、特攻隊の命令のように、強い強迫観念となって苦しんでいました。
号泣の後は、爆笑!!(涙)
------------------------------------------------------------
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
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「偏差値の高い大学に行って、上場企業に入りなさい」と言われて息が詰まっている方もいる。
「幸福になりなさい」と言われて強迫観念に苦しんでいる方もいる。
「自由に生きていいんだよ」と言われて、
「うわ〜い!好きにできるー!」と喜ぶ方もいる。
「見捨てられたんだ・・・」とガッカリする人もいる。
「大嫌い!死んでしまえ!」と言われて、悲痛の悲しみを抱える方もいる。
「長生きしてね」と言われて、身体の状態の辛さを嘆く方もいる。
「大好き!愛してるよ!」と言われて、
「私も愛してるよ〜♪」と喜ぶ方もいる。
「これ以上つきまとわないで!」と嫌気がさす方もいる。
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人間が生きるということは、感情が動くということ。
感情が動くということは、喜怒哀楽を味わうということ。
喜怒哀楽を自覚して味わうのか、
気付かない状態で、催眠にかかった状態で味わうのか・・・
「自由」「幸福」
この2つの親からの指令・命令・催眠 を手放した私は、
いったいこれからどう生きるのでしょうか??
「もう、自由にならなくて良いし、幸福にならなくても良い。」
あの気づきに恵まれた夜・・・
その夜、私は今まで感じたこともないほどの、
深い深〜い自由と幸福を感じました。
感じるという表現も、包まれているという表現も、
もしかしたらちょっと違ったかもしれません。
私のいるところ、そこに、ただただ 自由と幸福がありました。
自由と幸福は、いつも ここに あったものだったのです。
ただただ、そのことを実感して感激したのでした。
そして、その翌日、今までなかなか進展しなかったことたちが、
人の手を借りて、進みだしました。
「自由になっていいんだよ」「自分の分も幸せになってね」と言ってくれた母のことを、
もっともっと理解してあげれたように感じました。
母の愛を、もっともっと深く感じました。
●いつもありがとうございます

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この記事へのコメント
1. Posted by らっく☆ラック♪ 2010年01月27日 21:49
なるほど〜 油断してると一見ポジティブ見える事も自分を縛る鎖になるんですね。
このワナにハマらないように氣をつけます!
このワナにハマらないように氣をつけます!
2. Posted by カモウ 2010年01月28日 22:00
き、きとりかさんもだったの?!
私は、まだ
『幸せ以外は認めない』
『自由以外は認めない』
この2つの思いに、完全にからめとられています。
気づいたのはいいけれど、そこからなかなか前進していませんが・・・。
これ、結構、いえ、かな〜り、強力な呪縛のようですね。
頑張ろうっと!
私は、まだ
『幸せ以外は認めない』
『自由以外は認めない』
この2つの思いに、完全にからめとられています。
気づいたのはいいけれど、そこからなかなか前進していませんが・・・。
これ、結構、いえ、かな〜り、強力な呪縛のようですね。
頑張ろうっと!
3. Posted by Supple 2010年02月13日 20:33
お久しぶりです。
いい気付きがあったのですね。
「自由」と「幸福」。
真の意味の自由なんでしょうね。
また、幸せね。幸せにならなくてもいい。幸せでもいい。
これは大事ですよね。
次の次元の、自由と幸福を得たのですね。
うらやましい。
いい気付きがあったのですね。
「自由」と「幸福」。
真の意味の自由なんでしょうね。
また、幸せね。幸せにならなくてもいい。幸せでもいい。
これは大事ですよね。
次の次元の、自由と幸福を得たのですね。
うらやましい。

