こんにちは♪
フェリシアスタッフの小野です🐥
今日も当ブログ
「潜在意識をマスターしよう!」に
遊びにきていただき、
ありがとうございます🌷
「潜在意識」。
それは、
とても奥深く、一言では表せないものです。
「正解」と呼ばれるような
ただ一つの、唯一の「答え」はなく、
潜在意識とつながり、
探求していけばしていくほど、
その答えは無数にあることに
気づくでしょう。
そして、
おひとりおひとり、
その方にとっての
「潜在意識の真実」と出会います✨
本日は、
潜在意識マスター講座【上級セミナー】
15期生 さおりさまが
お寄せくださった
冥土の旅について
お届けいたします。💌
潜在意識マスター講座【上級セミナー】で
潜在意識の学びをとおして
愛や真理への体験を深めている
さおりさまは
お父様からプレゼントされた
本をとおして
冥土の旅に造詣を深め、
スジャータの粥に真理を見出し、
『 大切な人の成仏を祈ることは
真実の愛であり
故人は自らの死をもって、
大切な生きている者たちに
気づきを与える
きっかけを作ってくれている 』
という
大きな発見を得ました。
そして
大きな愛に心がふるえ、
レポートを寄せてくださいました。
さおりさま、
レポートのシェアご快諾
ありがとうございます!
それでは、
さっそくご覧ください🌺🙂
(お話ここから)
釈迦は
人は亡くなると
この世(娑婆)と次の世の間にある
中有という場所で、
この世の業を熟し、
新しい世界に生まれ変わる準備をする
と説いている。
⇒ つまりは
生まれ変わることを前提に
話されているのである!
★目標
往生すること
( 極楽浄土に生まれ変わること )
= 生まれ変わりの繰り返しである
輪廻からの解脱
→ 極楽浄土には
仏になろうとするものばかりがおり、
すべての人を救ってあげようとする
温かい菩薩様のような
心を持った者たちばかりいる。
往生には
三つの功徳の力が必要と言われている
⇒ ③法界力 はまた
自身の功徳につながり、
功徳は循環すると考えられる。
中有の間には
十王による裁判が行われる。
罰を与えるだけでなく
罪の重さを悟らせ、
罰の苦痛を与えることによって
罪を洗い清め、
菩薩心を備えるための手助けをしてくれる。
この後
十王までの道のりを説明するが、
罰については
どれも厳しいものであるが、割愛する。
なぜなら
釈迦は自業自得を説いており、
罰は自らが作った幻である
と説いているからである。
つまり
業は自ら気づき、
その結果も
自らが受けなければならない
ということである。
⇒ 厳しい十王の姿や、罰は
戒め的な意味合いが強く、
悪い業をしないための
生きる者への脅しにも感じる。
死出の山を越え、
秦広王(不動明王)の裁判
殺生の罪を問われる。
→ 人を殺さずとも、
生きるために
さまざまな生物の命を
いただいている自覚をもつこと。
また
命を奪っている自覚がないことも
罪と言っている。
賽の河原、三途の川を越える。
三途の川は
先ほどの殺生の罪の重さ、功徳により
渡る場所が変わる
と言われている。
後、
初江王(釈迦如来)の裁判
人に与えた苦しみを問われる
宋帝王(文殊菩薩)の裁判
邪淫の業を問われる
先ほどの業を表す川
業江を経て、
五官王(普賢菩薩)のもとへ
体と口が作る
7つの悪行を天秤で測る。
閻魔大王(地蔵菩薩)の裁判
小善小悪の審理
→ 普段の行いが重なって、
大きな問題を生み出すと考えている
変成王(弥勒菩薩)の裁判
犯した罪業は
自ら刈り取らなければならないと説き、
三つの道から
自分に合った道を選ばせる。
②中の道、さまざまな苦労を経た③悪道は
太山王(薬師如来)のもとへ
口業の最終審判
=今までの審判を受けての反応
( 薬師如来は口先だけではなく、
心の中の言葉まで読める )
・心より恥じ、心改まって、清らかになる者
・覚悟が出来ず、世間に未練を残す者
・面従腹背する者
・ほっとしている者
・心に響かない者
・怒りを心に含む者
↓
六道が決まる
この世は
六つの世界からできている
といわれ、
きちんとすみ分けられており、
互いに混じることはない。
また、
自分の業が尽きるまで
出てこれないといわれている。
①天人界
兜率天というところにある。
釈迦がこの世に生を受ける前にいた場所。
兜率天の上には梵天様がいる。
②人間界
須弥山という山の南、贍部洲にある。
③阿修羅界
須弥山という山の北の大海の水底にある。
好戦的で戦いに明け暮れる生活を
送っている者たちの世界。
④畜生界
獣類だけでなく、鳥や魚、虫も含む。
本能に生き
お互いを食らい、殺し合い
自らが何者かも知らずに
ただひたすら生きている。
痛い事もの苦しい事も
次々起こるので、
必死に苦痛をこらえ、
苦痛から逃げることしか意識になく、
喜びがあっても
喜びであることを知らず、
心そのものがいつも闇の中
⑤餓鬼界
汚いところに住み着き、
糞尿や鼻水、汚泥そのほか汚物を食す。
食べられるのはいい方で、
食べようとすると口から炎が吹き出たり、
やっと食べ物が口に入っても、
喉が針のように細くて喉を通らないほど
よくよく飢えに苦しむ。
いつも腹を空かせているが
満足に食べられないので、
栄養失調で、腹が山のように膨れ上がり、
身動きもできず
ひたすら汚物の中にうごめいている。
⑥地獄界
刑罰を受ける苦しみの世界
⇒ 輪廻の中へ
成仏を目指す覚悟ができたものは
平等王(観音菩薩)のもとへ
世間の音を自ら観じ、真実を悟らせて、
成仏させようとさとす。
善人悪人と区別することなく
憐れみと慈しみをもって導く。
都市王(勢至菩薩)のもとへ
智慧を授けてくれる。
五道転輪王(阿弥陀仏)のもとへ
極楽浄土へ
天人界は
苦しみがなく快楽に満ちているが、
快楽に満ちている為
仏教の教えに出会うことが出来ず、
解脱することができない。
また、
寿命があるため、
天人界から抜ける時は
地獄の16倍の苦しみがあるという。
極楽は
煩悩から解放され、
六道輪廻からも解脱することをいう。
仏教では
ここまで長々と
死後の世界について
生きている人間に対して説いている
のであるが、
なにが言いたいのか。
そもそも
死後の解脱について説かれているが、
釈迦は
生前に解脱しているのである。
つまり、
四苦の一つである「死」を使って、
生きている私たちに
何かを説いているのではないか
と考えた。
釈迦が悟りを開く少し前からまとめてみる。
🌿 🌿 🌿 🌿 🌿 🌿 🌿
骨と皮だけになるまで苦行をするが
悟れない。
死にかけているところに
スジャータという女性が現れ、
粥を提供
菩提樹の下で、
悪魔の邪魔が入りながらも瞑想し、
悟りの境地を味わう
🌿 🌿 🌿 🌿 🌿 🌿 🌿
このときの悪魔とは
自分の中の邪念だと考えられる。
いわゆる、
魔がさしていたわけである。
すでに真理を見つけ
それに確固たる自信をもって
瞑想に入ったのではないかと考えている。
その真理とは何か。
私は
それは
スジャータの粥なのではないか
と思う。
その粥は
スジャータの純粋な、
死にかけの人を助けようという
気持ちなのである。
仏教には残念ながら、
愛という言葉はないのだが、
私はそれは
潜在意識の
一番深いところから湧き上がる光、
言葉にするならば
「愛」なのではないかと思う。
仏教のにおいては
愛という言葉ではなく
慈悲という言葉を使っている。
慈悲は
世の中における全ての人々に対し、
苦しみから解放し
楽を与えたいとする菩薩心。
これは先の百ヵ日の観音菩薩から
いただくものでもある。
物事を客観的にみる
真の智慧によって裏付けられた愛。
つまり
智慧なくして慈悲はなく、
慈悲無くして智慧はない という、
一体のものである。
仏とは
慈悲と智慧であると言われている。
釈迦は
スジャータによって
真実の愛である、慈悲を受け、
確信をもって瞑想に入ったのではないか。
そして瞑想により
いわゆるワンネスというところに
つながり、
自身が世界の一部であり、
自身が世界である という
宇宙の真理である智慧を授かった。
やはり
智慧を得たのも、
一人ではなせないことであった。
大いなるものの力とでもいうのか、
与えられた環境、世界の力であるが、
世界が自身であるのであれば、
真理に「気づいた」となるだろう。
仏教ではこのすべての流れを
仏様のお導きとよくいう。
さて、ここで
死後の世界の話に戻るが、
冥土の旅路の百ヵ日で
観音菩薩からいただく慈悲、
一周忌で勢至菩薩からいただく智慧
の流れは
ちょうど
釈迦の悟りを開く流れと
同じようにかんじる。
それまでの
長く身を痛めつけた旅は
釈迦の苦行を思わせる。
なぜ
生きている私たちに
死後の世界を見せるのか。
冥途の旅は
釈迦が悟りを開くまでの旅を
暗に示しているのではないかと、
また、
釈迦が特別なわけでもなく、
死がみな平等に与えられているように
悟りの旅もまた
平等に分け与えるられていること、
釈迦同様
生きているうちに
世界の真理に気づけることを
教えてくれているように感じる。
この冥途の旅の
地獄のような体験は
実は
日々この娑婆世界でも
起こっていることではないか。
冥途の旅では
体に大変な罰を受けるのであるが、
それは
早く物質的なところから離れよ、
とのメッセージ性を感じる。
その罰を与える十王であるが、
自業自得の真理からいくと、
他人に罰をあたえることはできない
のである。
もし、
それができるのであれば、
悪人を見たとき、
私は
地獄のような罰を
与えることができるのである。
つまり十王は
自分自身の潜在意識
全てに気付かせる愛の存在であり、
それは世界であり、
自分自身であるのだと考える。
六道も
娑婆世界を表しており、
自分を知る為の指標と
してくれているのではないか。
仏教界では
ワンネス、真実への目覚め、真正の愛を
涅槃と言ったり、
浄土といっているのではないか。
なぜ今回、
「冥途の旅」を課題に選んだのか
というと、
今の私の仕事(セレモニースタッフ)
にあります。
基本的に法話は導師が行いますが、
ご遺族と故人の旅支度をする際に
四十九日まで旅の話や、
法要の話をすることがあります。
私がこの仕事についた
一つのきっかけは、
父が脱サラをして坊主になったことです。
父に仕事の話をした際に
もう少しちゃんと勉強したほうがいい
と渡された本を
今回は出典に選ばせてもらいました。
渡されてから一年ほど読まずにいましたが、
今回、何かヒントがあるかもと
読み始めました。
読んでいても全くピンと来ず、
まとめていても
いまいちピンと来ていませんでした。
書いていて
頭では全く理解できていませんが、
ところどころで
お腹のそこから湧き上がる熱いもの、
光を感じます。
それは
スジャータが
粥を与えた時のものに重なり、
釈迦が
それを受け入れた時のものに重なり
自然と涙が溢れ、
それを考察に
著させていただきました。
今では
たくさんのお経が伝えられています。
私の思った考察が
合っているかもわかりません。
真意は分かりませんし、
僧侶が
どう理解しているのかもわかりません。
大切な人の成仏を祈ることは、
真実の愛を感じます。
その力は
故人の成仏の力となると、
また自身の功徳にもなります。
また反対に
故人は自らの死をもって、
大切な生きている者たちに気づきを与える
きっかけを作ってくれている
と考えると
それも
大きな愛を感じずにはいられません。
大切な人に
自分の死を見せることも
大きな功徳になるのではないかと
私は思います。
まさか
ここまでの超大作ができるとは
思っていませんでした。
それもまた
仏様のお導きなのかもしれません。
出典
『 生死のなかに仏あり
ー 十三仏と十王のはなし ー 』
著者 渡辺明照 北樹出版
(お話ここまで)
さおりさま
ありがとうございました!
潜在意識とは、奥が深いものです。
あなた自身が
あなたの潜在意識につながることで
あなたにとっての
潜在意識の真実を
知ることができるでしょう。
あなたにとっての
この世の真実
生まれてきた理由
あなたの人生のミッションにも
目覚めることができるでしょう。
ぜひあなたも
フェリシアの潜在意識セミナーで
潜在意識を探求して
あなた自身の潜在意識の答えを
見つけてくださいね♪💕😄
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました🍀
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